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逃げてもええねん

生まれつき目が悪い。
眼鏡の度数でいうと、-18.50Dくらいである。


座布団の上に座らせると、ぼんやりとそのまま座っている私を見て、
父も母も「おとなしい子だな」と思っていたらしい。
そりゃそうだろ、見えてないんだもの。

幼稚園の頃はまだ目が悪いとわからずに裸眼ですごしていたので動くのが怖く、鉄棒や縄跳びや雲梯ができなかった。
そんな私を突き飛ばしてからかう子がいたので、いつも裏庭で毛虫を見たり、草を触って休み時間をやり過ごしていた。

小学校に入る時に眼鏡を買ってもらったが、矯正しても視力は0.2くらいだったと思う。
目が小さく見えることと、いつも黒板の前に座らされていたことで、いじめの恰好の的となった。
成績は良かったにも関わらず、「バカ、ブス、死ね」と言われるのは当たり前で、ランドセルや筆箱を窓から捨てられ、歩いていると石を投げられた。
私はどんなことをされても、一言も言い返したり泣いたりしなかった。ランドセルや筆箱は、後でこっそりと拾いにいった。そういうところが同級生には憎たらしい存在だったのだと思う。怒りに震えながらも知らん顔をして「こんな奴らを相手にするもんか」と心の中で思っていた…そんな子供だった。

家では努めて何もなかったように振る舞っていた。目が悪いのは母の遺伝なので、いじめの原因が眼鏡だとわかると母が私に泣いて謝るからだ。

いじめは、眼鏡をコンタクトレンズに変える中学2年生まで続いた。

眼鏡をやめた途端、それまでのことが嘘のように「普通の人間」として扱われるようになった。
容姿がそれほど悪くなかったことが幸いしたのかもしれない(とびきり良くもないが)。
人間は、こんなに見た目に左右されるのかと本当に呆れた。

吹奏楽部では仲間とも楽しく過ごしていたので、そのまま公立の高校へ進学してクラブを続けるつもりだったが、その他の同級生たちと同じ学校を選ぶのが嫌で、美術系の高校へ進学した。

そこは私のような一風変わった人たちばかりで居心地がよかった。
日本のアイドルのことや、テレビのことを知らなくても仲間外れにされることはなく、むしろ外国のロックやジャズなどが語れる場所だった。大好きな絵や音楽に浸っていても、誰も珍しがったりする人はいない。


思えば色々なことから逃げてきた人生かもしれない。
前向きにがんばるのではなく、身を小さくして石をぶつけられないように目立たないように過ごしてきたかもしれない。
それでも今、生きている。
生きていてなんぼだと思う。

いじめに耐えられず自殺を選んだ若者のニュースを見て「逃げろ、逃げてくれ」と本気で思う。
人をいじめるようなそんなくだらない奴らのために、自分が死ぬことはないと気づいてほしい。
私も死んでしまいたいと思ったことは数限りなくあるけれど。

死んだらあかんねん。
生きててなんぼやで。

私は身近な人を2人自殺で亡くしている。
死んだ人も辛かっただろうが、残された人たち(特に家族)は、もっと辛い。
それを知ってしまったからには、逃げながらでも、後ろ向きであろうと、生きていかなければいけないと思っている。
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