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泣く

幼稚園からヤマハ音楽教室へ行き、小学生からは両親に無理を言ってピアノを習わせてもらった。

このピアノの先生が、とんでもなく厳しかった。

週に一度、家の近くの坂道を登って先生の家へ通っていた。

個人レッスンなのだが、私が通う前後の時間には生徒さんがいなかったので、いつも先生の家は静まりかえっていた。
黄色に塗られた門を開けて、玄関の大きな引き戸を開けて「こんにちは」と挨拶をする。返事はない。
靴を脱いで揃え、そろそろと廊下を歩くとき、いつも自分の履いているジーンズの裾が擦れる音が響いた。

廊下を歩いてレッスンをする部屋に入る。
夏には扇風機がまわり、冬にはオイルヒーターがある大きな部屋に
アップライトピアノとグランドピアノが1台ずつ、それに大きなエレクトーンもあった。

静まり返った部屋の中、教則本をグランドピアノに置き、指の練習である「ハノン」から始める。たぶん、その音を先生は別室で聞いている。
自分の家にあるピアノとは違い、先生の家のグランドピアノは、恐ろしくキーが硬かった。指先に力を込めて弾いても、音がよく鳴らない。やせっぽちで非力な小学生にはとても辛かった。

「ハノン」の課題曲が一通り終わる頃に、先生が部屋に入って来る。
それまでの一連の流れも、慣れるまでには時間がかかった。
~挨拶しただけで、勝手に部屋に入ってもいいの?~
~勝手に練習を始めていいの?~
誰も教えてくれないので、最初はおそるおそる様子をみながら、自分なりのやり方で頭の中に手順書を作っていった。

先生はいつも大きな声で私を叱った。
「どうしてそんな弾き方をするの!」
「その指使い、間違ってるでしょ!」
…私は「もう一度、この小節から弾きなさい」というような具体的な指示が出ると思って待っているが、
先生はその後、一言も発せずに私を睨み続けている。
おずおずと、その前の小節から弾きだすと、
「そんなところから弾いちゃだめ!」
「弾き方が弱い!最初の音からしっかり弾きなさい!」と、また叱られる。

「だいたい、この曲は何調かわかってるの?!」と言われるので、消え入りそうな小さな声で「ホ…ホ短調です」と答えると、「ホ短調でしょ?!だったらホ短調らしく弾きなさいよ!」と叱られる。
…まだもっと叱られるかもしれないから待っていた方がいいのかな?と、じっとしていても沈黙の時間が流れるばかりで、先生は何の指示も出さない。私を睨んでいるだけだ。
部屋には扇風機の音と、蝉の声、そして外の道を通る車の音が響いているだけだった。
どうすればいいんだろう?どこから弾けばいいの?
子供の私には全然わからないので、暫く考えて、曲の最初から弾く。…叱られない。これが正解なのか?

レッスンの間中、私は先生との距離感をつかむのに必死だった。

やっとその日のレッスンが終わり、「また来週ね」と言われ、「ありがとうございました」と部屋を出る。
廊下をジーンズの擦れる音を聞きながら歩き、誰もいない玄関で再度「ありがとうございました」と頭を下げて外に出る。

その繰り返しで、楽しい思い出は何ひとつなかったのだが、私は両親に「ピアノを辞めたい」と言う勇気がなかった。我が家の経済状態には明らかに高額のピアノを、私のために買ってくれたのがわかっていたからである。

毎日、先生に叱られないように練習し、気乗りしないレッスンに毎週通った。それはまるで修行のようなものだった。唯一の救いは、母が「あんたのピアノの音は優しくて、澄んでいて大好きや」と言ってくれることだった。

夏休みになると、ごく稀に練習時間が変更になることがあった。
坂を上がって先生の家に向かうと、玄関に子供用の靴があり、私の前に他の生徒さんが練習に来ているのがわかった。しかし、ピアノの音はしない。
静かな廊下を通って練習室の扉を開けると、そこには私と同じくらいの年齢の女の子と先生がピアノの前に座っていた。 私は横のソファに座り、順番を待った。
静かだな…と思ったその時、私は気づいた。その女の子はピアノの前で泣いていたのだ。
きっと先生はいつものように叱ったんだろう…と思ってハッとした。「叱られて泣くんだ」と…。

その女の子は、一生懸命練習してきて、それでも叱られて悔しかったのか、それとも単に先生が怖かったのか、それはわからない。でも、私はいつも「どうすればこの状況から抜け出せるのか」と悩んではいたが、泣くという感情が動いたことはなかった。それだけに、そのことについて衝撃を受けた。

学校でいじめられる。
ピアノのレッスンが辛い。

自分の中では、この要素は「泣く」という感情には繋がらないものだった。
きっと多くは「困った、どうしよう」と対処法を考えるか、「腹立たしい」という感情に変換されているのだろうと思う。

その後も、年に何度か他の生徒が泣いている姿を目にすることがあった。
ピアノには中学を卒業するまでずっと通った。先生が私のことを「一度も泣かない可愛げのない子だ」と思っていたかどうかはわからない。でも、最後の何年かは、それほど酷く叱られることもなくなっていた。
もっと長くピアノを続けていれば、先生と仲良くなれたのだろうか。



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